競輪界のレジェンドとして長年活躍してきた伏見俊昭選手が、2026年7月19日、松阪競輪場でのレース中に発生した落車事故による頸髄損傷のため亡くなった。50歳だった。
伏見選手は競輪でKEIRINグランプリを2度制覇し、2004年アテネオリンピックでは男子チームスプリント銀メダルを獲得するなど、日本競輪界とトラック競技界を代表する存在だった。
最後までS級トップクラスで現役を続けていた名選手の突然の訃報は、多くのファンや関係者に大きな衝撃を与えている。
伏見俊昭選手について


プロフィール
伏見俊昭(ふしみ としあき)
- 生年月日:1976年2月4日
- 年齢:50歳(2026年7月19日没)
- 出身地:福島県白河市
- 身長:181cm
- 体重:86〜88kg
- 血液型:O型
- 職業:競輪選手、自転車競技選手
- 所属:日本競輪選手会 福島支部
- 登録番号:012939
- 期別:日本競輪学校75期
- 脚質:追込(自在)
- 愛称:フッシー
伏見俊昭選手は、日本競輪界を代表するトップレーサーとして30年以上にわたり第一線で活躍した競輪選手である。
高校時代から自転車競技を始め、日本競輪学校卒業後は競輪とトラック競技の両方で実績を積み重ねた。
競輪ではKEIRINグランプリを2度制覇し、年間賞金王にも2度輝くなど、日本を代表するスター選手として人気を集めた。
また、日本代表として2004年アテネオリンピック男子チームスプリントでは銀メダルを獲得し、日本自転車競技界にも大きな足跡を残した。
経歴
福島県立白河実業高等学校で自転車競技を始めた。
1995年4月15日、伊東温泉競輪場でプロデビュー。
翌1996年にはS級へ昇格し、その後は長年トップクラスで活躍した。
2011年の東日本大震災後は、練習環境の変化を受けて三重県松阪市へ拠点を移し、「第二の故郷」として活動を続けていた。
50歳となった2026年もS級で現役を続けていた。
主な実績
競輪では2001年と2007年にKEIRINグランプリを制覇。
年間賞金王を2度獲得した。
GⅠでは、
- 日本選手権競輪
- オールスター競輪
- 全日本選抜競輪
など数々のビッグタイトルを獲得している。
通算600勝を達成し、生涯獲得賞金は15億円を超えるなど、競輪史に残る実績を築いた。
オリンピック銀メダリスト
競輪だけでなく、日本代表としてトラック競技でも活躍した。
2004年アテネオリンピック男子チームスプリントでは銀メダルを獲得。
2008年北京オリンピックではケイリン種目にも出場した。
日本競輪界だけでなく、日本自転車競技界を代表する選手として世界でも知られていた。
家族構成
妻
2015年4月10日に三重県松阪市在住の一般女性と結婚した。
交際約2年でゴールインし、長年独身だったことから競輪ファンの間でも話題となった。
妻の氏名や職業などは公表されていない。
子ども
子どもに関する公表された情報はない。
結婚後も家族についてはプライバシーを尊重し、詳細は明らかにされていなかった。
事故の概要
事故は2026年7月18日に松阪競輪場で開催された第12レース「S級決勝」で発生した。
レース終盤、伏見選手は最後方から追い込みを図っていた。
その際、前方で複数選手が落車。
巻き込まれるのを避けようと進路を変更したが、外側の金網(外柵)へ高速で激突した。
衝撃でバランスを失い、そのままバンク内側へ投げ出されるように転倒した。
救急隊により病院へ搬送され、治療が続けられたが、翌7月19日午前10時15分、頸髄損傷により亡くなった。
ミヤカツ事故当時(2026年7月18日 松阪競輪 12R S級決勝)伏見選手の車番は「2番」で、ユニフォームの色は「黒」でした
事故原因
報道によると、事故は最終周回3コーナー付近で発生した。
前方の選手が落車したことで走路が塞がれ、伏見選手は回避行動を取った。
しかし、その際に外柵へ激突。
時速60キロを超える高速走行中だったこともあり、強い衝撃を受けた。
JKAは競走中の事故による死亡を公表し、安全対策を改めて徹底するとコメントしている。
競輪界への影響
伏見選手は競輪界を代表するスター選手であり、オリンピック銀メダリストとしても知られていた。
現役S級選手として50歳まで第一線を走り続けていたことから、今回の訃報は競輪界全体に大きな衝撃を与えた。
JKA関係者や競輪選手からも追悼のコメントが相次いでいる。
また、安全対策の見直しを求める声も高まっている。
事故の時系列
2026年7月18日
松阪競輪場第12レース「S級決勝」に出場。
最終周回
前方で複数選手が落車。
伏見選手は回避行動を取る。
事故発生
外柵へ激突し、そのまま激しく落車。
救急搬送される。
2026年7月19日 午前10時15分
搬送先の病院で頸髄損傷のため死去。
50歳だった。
JKA発表
JKAが伏見俊昭選手の死去を公表。
競走中の事故による死亡として、安全対策の再確認を進める方針を示した。
現在判明している情報
伏見俊昭選手は2026年7月18日の松阪競輪場S級決勝で落車事故に遭い、翌19日に頸髄損傷で亡くなった。
事故は前方選手の落車を避けようとした際に発生したと報じられている。
JKAは事故を受け、安全対策の再確認を進める考えを示している。
まとめ


伏見俊昭選手は、KEIRINグランプリ2度優勝、アテネオリンピック銀メダル獲得など、日本競輪界と自転車競技界を代表するレジェンドだった。
50歳となった現在もS級の第一線で戦い続けていたが、松阪競輪場で発生した落車事故により帰らぬ人となった。
長年にわたり競輪界を支え、多くのファンに夢と感動を与え続けた伏見選手の功績は、日本競輪史に深く刻まれることになる。









