競輪選手の諸橋愛さんが、2026年9月21日、頚髄損傷による多臓器不全のため亡くなった。49歳だった。
諸橋選手は9月12日、奈良競輪場で開催されたG3「平安賞in奈良」の準決勝で落車。
奈良市内の病院へ緊急搬送され、治療を受けていた。競輪とオートレースを統括するJKAが、翌22日に訃報を公表した。
1997年のデビューから約29年。2017年には共同通信社杯を制し、KEIRINグランプリにも出場するなど、長年にわたり第一線で走り続けた選手だった。
競輪界では、同年7月にも伏見俊昭選手が落車事故によって亡くなっている。
相次ぐ死亡事故を受け、選手の命を守る安全対策の検証と実施が急がれる。
諸橋愛選手に何があった?奈良競輪の準決勝で落車
事故が起きたのは、2026年9月12日だった。
諸橋選手は、奈良競輪場で行われた「平安賞in奈良」のS級準決勝、第11レースに出走していた。
報道によると、最終周回の第2センターで、前方のアクシデントに巻き込まれる形で落車したという。
第2センターは、第3コーナーから第4コーナーにかけての区間を指す。
事故後は奈良市内の病院へ緊急搬送され、治療が続けられていた。
しかし、9月21日午前2時14分、頚髄損傷による多臓器不全のため亡くなった。
落車から9日後のことだった。
諸橋愛選手について


プロフィール
諸橋愛(もろはし めぐむ)
- 生年月日: 1977年7月21日
- 没年月日: 2026年9月21日
- 享年: 49歳
- 出身地: 新潟県
- 職業: 競輪選手
- 登録地: 新潟県
- 期別: 79期
- 級班: S級1班
- 身長: 172cm
- 体重: 75kg
- 血液型: O型
- デビュー: 1997年4月13日、弥彦競輪場
- 通算成績: 2377走、435勝
- 通算優勝: 52回
- 主な実績: 2017年共同通信社杯優勝、KEIRINグランプリ2017出場
名前の「愛」は「めぐむ」と読む。
新潟を代表する競輪選手として、最高峰のS級S班も経験した。
1997年にデビューし、約29年間にわたり活躍
諸橋選手は1997年4月13日、地元の弥彦競輪場でデビューした。
同年4月23日に松戸競輪場で初勝利を挙げ、5月5日には静岡競輪場で初優勝。プロ入りから早い段階で結果を残した。
その後も実績を積み重ね、2004年5月にはS級で初優勝。2023年7月29日には前橋競輪場で通算400勝を達成した。
最終的な通算成績は2377走435勝、優勝52回。約29年にわたる競技生活で、多くの大舞台を経験してきた。
2017年、40歳で共同通信社杯を制覇
競技人生の大きな節目となったのが、2017年9月の共同通信社杯だった。
武雄競輪場で開催されたG2の舞台で、40歳にして特別競輪初優勝を達成。
同年末には、競輪界の頂点を争うKEIRINグランプリへの初出場を果たした。
翌2018年にはS級S班となり、トップ選手としての地位を確かなものにした。
追い込みやマークを軸とした走りを持ち味とし、G3でも8回の優勝を記録。長年にわたって強豪と競い合い、結果を残し続けた選手だった。
落車事故から訃報発表までの時系列

| 日付 | 経緯 |
|---|---|
| 2026年9月12日 | 奈良競輪場の「平安賞in奈良」S級準決勝11Rで落車 |
| 同日 | 奈良市内の病院へ緊急搬送され、治療を受ける |
| 9月21日午前2時14分 | 頚髄損傷による多臓器不全のため死去 |
| 9月22日 | JKAが訃報を公表。関係団体が追悼と安全対策に関するコメントを発表 |
9月22日は死亡した日ではなく、訃報が公表された日となる。
7月には伏見俊昭選手も落車事故で死去
今回の訃報に先立ち、2026年7月には伏見俊昭選手がレース中の事故で亡くなっている。
伏見選手は7月18日、三重県の松阪競輪場で行われたF1開催の第12レース、S級決勝で落車した。
松阪市内の病院へ緊急搬送され、治療が続けられたが、翌19日午前10時15分に亡くなった。50歳だった。
死因は頸髄損傷と報じられている。
伏見選手は2004年アテネ五輪の自転車男子チームスプリントで銀メダルを獲得。
競輪でもKEIRINグランプリを2度制覇し、G1で5回の優勝を重ねた。
国内の競輪だけでなく、国際舞台でも活躍した選手だった。その死から約2カ月後、再び競輪界を支えてきたトップ選手の命が失われたことになる。

JKA会長が安全対策の加速を表明
JKAの木戸寛会長は、諸橋選手の死去を受け、深い哀悼の意を示した。
その上で、7月の事故を受けて安全対策の検討・実施を進めている最中に、再び重大な事故が起きたことを重く受け止めていると説明。
今後、安全対策の検討と実施をさらに加速させる方針を明らかにした。
日本競輪選手会の安田光義理事長も、7月の事故後、関係団体とともに事故の検証と再発防止の検討を進めていたと説明した。
その途上で再び選手が亡くなったことへの痛惜の念を表し、選手が安心して競走に臨める環境づくりに取り組むとしている。
相次ぐ死亡事故で、安全対策の検証と実行が急務に
伏見選手と諸橋選手は、ともに長年の経験と実績を持つトップ選手だった。
熟練した選手であっても、競走中の落車が命に関わる結果につながった。
今回の事故は、選手個人の注意や技術だけでは補いきれない危険に、競技全体でどう対応するかを突き付けている。
今後の検証では、落車に至る競走状況に加え、事故時の衝撃を抑える設備や防具、救護・搬送体制など、複数の面から対策を検討することが重要となる。
ただし、現時点で特定の設備や救護対応に不備があったと確認されたわけではない。
二つの事故に共通する要因があるのか、それぞれ異なる事情があるのかも、検証によって明らかにする必要がある。
9月22日の会長コメントで示されたのは、安全対策を加速させるという方針だ。具体的に何を見直し、いつ実施するのか。その内容と進捗が、今後の焦点となる。
選手が全力で競い合い、レースを終えて無事に帰れることは、競技を支える土台である。相次いだ悲劇を、実効性のある再発防止策につなげる取り組みが急がれる。
諸橋愛選手が残した足跡

諸橋愛選手は、1997年のデビューから約29年にわたり競輪界の第一線で活躍した。
40歳での共同通信社杯制覇、KEIRINグランプリ出場、通算435勝。積み重ねた記録には、長くトップレベルで戦い続けた歩みが刻まれている。
2026年9月12日の落車事故後、治療を受けたものの、同月21日に49歳で亡くなった。
諸橋選手の功績を悼むとともに、伏見俊昭選手の事故を含めた検証が進み、選手の命を守る具体的な改善につながることが求められる。
諸橋愛選手のご冥福を心よりお祈りします。

