【川野純治】何者?「ヘリ基地反対協議会」創設メンバーは“皇太子襲撃事件”実行犯だった?辺野古転覆事故との繋がりについても

2026年3月に発生した沖縄・辺野古沖の抗議船転覆事故を巡り、「ヘリ基地反対協議会(反対協)」の過去や構成メンバーに再び注目が集まっている。

事故では、同志社国際高校の生徒らが乗船していた抗議船「平和丸」「不屈」が転覆し、高校2年生の女子生徒・武石知華さん(17)と船長の金井創氏(71)が死亡

文部科学省は後に「安全管理は著しく不適切」と認定し、教育基本法違反にも踏み込む異例の展開となった。

そんな中、週刊誌報道などで浮上したのが、「ヘリ基地反対協議会」の創設メンバーの一人である川野純治氏の過去だった。

川野氏は1975年、現在の上皇ご夫妻に対する襲撃事件「白銀病院事件」の実行犯として逮捕・実刑判決を受けた人物だったのである。

目次

川野純治氏について

プロフィール

川野純治(かわの じゅんじ)

  • 生年月日:1954年9月22日
  • 出身地:熊本県
  • 職業:元名護市議会議員・政治運動家
  • 最終学歴:北九州大学中退

1975年「白銀病院事件」の実行犯だった

白銀病院事件の画像です
白銀病院事件

川野純治氏の名前が全国的に知られるきっかけとなったのが、1975年7月17日に発生した「白銀病院事件」だった。

この事件は、沖縄海洋博覧会のため沖縄を訪問していた皇太子明仁親王・同妃美智子さま(現在の上皇ご夫妻)の車列に対し、

  • スパナ
  • 空き瓶
  • 火炎瓶状の物体

などを投げつけた襲撃事件である。

川野氏は当時、新左翼系組織「沖縄解放同盟準備会」の活動家として行動しており、公務執行妨害容疑で現行犯逮捕された。

この事件は同日に起きた「ひめゆりの塔事件」と並び、当時の沖縄返還や基地問題を背景にした過激派事件として知られている。

沖縄定住後は基地反対運動へ

実刑判決後、川野氏は沖縄へ定住。

その後は、

  • 一坪反戦地主会
  • 辺野古反対運動
  • 市民運動

などに関わり続けた。

そして1998年、「ヘリ基地反対協議会(反対協)」の創設メンバーの一人となる。

「ヘリ基地反対協議会」とは?

ヘリ基地反対協議会(反対協)」とは、沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設に反対する市民団体である。

1997年の名護市民投票運動を前身に設立され、

  • 辺野古テント村での座り込み
  • 海上抗議活動
  • 抗議船運航
  • 視察案内

などを行ってきた。

構成には、

  • 社民党系
  • 共産党系
  • 左派系市民団体

なども関与しているとされる。

名護市議へ転身していた

川野氏はその後、政治家へ転身。

2010年、社民党推薦で名護市議選に立候補し初当選した。

以降3期にわたり市議を務め、

  • 辺野古新基地反対
  • 基地問題
  • 平和活動

などを中心に活動していた。

かつて皇太子襲撃事件で実刑判決を受けた元過激派活動家が地方議員となった点でも当時話題となった。

しかし2022年の市議選では落選し、現在は議員を退いている。

辺野古抗議船転覆事故との繋がり

今回再び川野氏の名前が浮上した最大の理由は、2026年3月の辺野古沖ボート転覆事故だった。

事故では、

  • 同志社国際高校の生徒
  • 教員
  • 平和学習参加者

らが、反対協関係者の運航する抗議船に乗船。

その結果、

  • 女子生徒1人死亡
  • 船長死亡
  • 多数負傷

という重大事故に発展した。

文科省は「教育基本法違反」と認定

事故後、文部科学省は異例の調査を実施。

その結果、

  • 反対活動に偏った教育内容
  • 抗議船への乗船
  • 教員不同行
  • 安全管理不足
  • 政治的中立性欠如

などを問題視した。

さらに、「教育基本法第14条第2項に反する」との極めて重い見解を公表した。

「白タク運航」疑惑まで浮上

事故後の捜査では、反対協側が海上運送法上の登録を受けず、実質的な“有料運航”を繰り返していた疑いも浮上している。

海上保安庁は関係先を家宅捜索し、

  • 安全管理規程
  • 運航記録
  • 許認可状況

などを調査中。

亡くなった船長については、容疑者死亡のまま刑事告発された。

中国系メディアとの関係報道も

近年は、反対協幹部が中国共産党系とされる「環球時報」関係者を辺野古周辺へ案内していたとの報道も出ている。

これにより、

  • 海外勢力との関係
  • プロパガンダ利用
  • 政治活動の透明性

なども新たな論点として浮上している。

「1970年代の過激派運動」と「現在の辺野古運動」が繋がった

今回の事故で多くの人が驚いたのは、「1970年代の過激派運動」と「現在の辺野古反対運動」が、人的につながっていたという事実だった。

もちろん現在の反対運動参加者すべてが過激思想を持っているわけではない。

しかし、

  • 抗議船運航
  • 教育現場との接触
  • 生徒参加型平和学習
  • 無登録運航問題

などが一気に表面化したことで、反対協の歴史や背景そのものが改めて注目される状況となっている。

まとめ

今回の辺野古沖転覆事故は、単なる海難事故では終わらなかった。

事故をきっかけに、

  • 抗議船の安全管理
  • 学校教育との関係
  • 教育の政治的中立性
  • 無登録運航問題
  • 反対協の歴史
  • 過去の過激派運動との繋がり

まで一気に議論が広がる事態となっている。

特に衝撃を与えたのは、「ヘリ基地反対協議会」の創設メンバーの一人が、1975年の皇太子襲撃事件「白銀病院事件」の実行犯だったという事実だった。

現在、

  • 文科省調査
  • 国交省調査
  • 海保捜査
  • 学校法人側の検証

などが進行中だが、参院特別委での参考人招致は見送られており、「真相究明が不十分」との批判も強まっている。

辺野古問題だけでなく、

  • 「教育」
  • 「政治活動」
  • 「市民運動」
  • 「安全管理」

そのものの在り方が、改めて問われている。

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