1999年に発表されたたつき諒(たつきりょう)さんのコミック「私が見た未来」が、2025年7月5日をめどに予言的内容を加えた完全版として注目を集めましたが、実際には「何も起きなかった」・・・
予知夢に基づく構想本作を中心に、たつきさんのプロフィールや経歴、予測が与えた社会的影響、そして不安を感じた方々や旅行者の減少についても分かりやすく解説します。
作品背景とたつき諒さんの経歴


プロフィール
たつき諒(たつきりょう)
- 別名義:竜樹諒
- 生年月日:1954年12月2日
- 出身地:神奈川県
- 職業:漫画家
たつき諒さん1975年に秋田書店からデビューした少女漫画家。
横浜在住で、“夢日記”をもとに創作する独自の手法を取ることで知られます。
1999年に発行された「私が見た未来」では、自身の夢の記録を鮮烈な絵とともに描写し、その中には東日本大震災を予見するかのような描写があったことが後に注目されました。
2021年、その復刻版として「私が見た未来 完全版」が発刊され、2025年7月5日付近に大災害が起こるとする“予言的メッセージ”が加筆され話題に。
たつき諒さん自身は「夢日記を記録しているだけであり、予言を主張する意図はない」と説明しています。
7月5日に何も起きなかった・・・予測の終着点
結果として、2025年7月5日に何の大災害も起こりませんでした。
たつき諒さんも、7月5日が“災害の日”とは考えておらず、「夢の日時と現実の日時は一致しない」と強調しています。
予言的な見出しは出版社のデザイン判断であり、夢そのものの“警鐘としての意味”を伝えたかったと彼女は説明しています。
SNSでは不安拡散と観光への影響も
本作が話題となると、一部のメディアで「7月5日には大災害」という噂が拡散。
SNSでは芸能人や科学者が一時的な警戒を呼びかけ、海外でも「日本旅行を控えよう」との投稿が見られました。
香港の航空会社が日本行き便を減便するなど影響が出たほか、訪日中国人をはじめ観光客が減少したことも報じられています 。
「災害が起こるかもしれない」と漠然とした不安に飲み込まれた人々もいましたが、たつき諒さんは「防災意識を高めるきっかけになった」との建設的な見方を示し、過剰な恐怖ではなく「冷静な備え」の大切さを訴えています 。
まとめ
たつき諒さんの「私が見た未来 完全版」は、夢日記から生まれた独自の世界観を現実に重ねて「予言」として語られる物語。
しかし、2025年7月5日には何も起きず、その“予言性”には科学的根拠がないことが確認されました。
一方で、SNSを通じた情報拡散の速度で人々が不安に駆られ、日本を訪れる外国人旅行者が減少するなど、社会や経済に影響を与えたのも事実です。
私たちが学ぶべきは、「報道や噂を鵜呑みにせず、冷静さと確かな情報を持って防災に向き合うこと」。
そして何より、エンタメや奇書としての作品には“科学的視点”や“現実とのバランス”が求められる、という教訓を含んでいます。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
追記:たつき諒(龍樹諒)が本当に伝えたかったこと「天使の遺言」
たつき諒さんは、当初「私が見た未来」は漫画家生活の最後を飾るささやかな記念のつもりで発表したそうです。
ところが、表紙に書かれていた「大災害は2011年3月」という文字が現実の東日本大震災と重なり、20年以上を経て突如脚光を浴びることに。
ピタリと予言したかのような内容が大きな話題を呼び、作者は思いがけずカリスマ的な存在となり、SNSやネット上では“偽物”を名乗る人物まで現れる事態になりました。
そんな混乱の中で、たつき諒さんが本当に伝えたかったのは「ただ怖がらせる予言」ではなく、自分の中で見えたもの、感じたことを正直に伝えたいという気持ち。
自分の人生や不思議な体験を含め、あくまで一人の人間の「真実」を誠実に残したい・・・
そんな思いから自伝「天使の遺言」の出版を決意されました。
この一冊には、たつき諒さんの生い立ちや漫画家としての歩み、そして「目に見えない世界」との向き合い方までが率直に綴られています。
「私が見た未来」の表層的な「予言」だけではなく、作者自身が生涯をかけて伝えたかった想いや葛藤に触れられる、まさに記念碑的な一冊です。